2017年4月23日日曜日

ジャスト・プリテンド / エルヴィス・プレスリー



Just Pretend - Elvis Presley 

1956年、異様な人気でロックンロールを牽引。特別な存在となったエルヴィス。
プレスリーの未来を予見するものは誰もいませんでした。
あのシナトラでさえ「あんなチンピラ、すぐに消えるさ」とやっかむのがやっとで、ハリウッドの大物プロデユーサー、ハル・B・ウオリスさえ契約こそ交わしたもののいったいどんな映画を作品にすればいいのか分からず、20世紀フォックス社に貸し出したほどでした。

肝心のレコ−ド会社すら、全米ヒットチャートナンバーワンヒットになったものの、どう売ればいいのかよくわかっていませんでした。
アルバムをリリース、ミリオンヒットしたものの、買い手である若者はおカネがなく、結局、全部シングルリリースにしたところ、今度は需要に追いつかず慌てて他社のレコード工場を借りるという異常事態。

世の中は「ロックンロール」と「エルヴィス・プレスリー」をマネジメントできる仕組みがなかったことに気がついたのです。
それを誰よりも思い知らされたのは、マネジャー、トム・パーカーでした。
彼も自分が契約した「エルヴィス・プレスリー」の扱い方を知らなかったのです。
わかっていたのはその才能をカネと交換することでしたが、賢明な方法を見いだせないまま、自分の想像できる範囲でカネのなる木に最大の成果を求めようとしました。

そのひとつが映画出演契約です。シナトラでさえ「あんなチンピラ、すぐに消えるさ」と言ったように、誰もがいつまで人気を保持するのか懐疑的であっても不思議ではなかったでしょう。長期の映画出演契約を交わせば金は入って来ると思いついたのです。この契約のためエルヴィスは10年間ハリウッドに拘束されます。

数年後、後からやってきた者はロックンロールとの付き合い方、音楽産業はどうあるべきか、みんなエルヴィスから学んだのです。

1960年代、ハリウッドを中心に活躍したエルヴィス・プレスリーは、淡々とこなし、音楽はサウンドトラック中心となります。それでもエルヴィスの人気でアルバムは売れ、シングルカットしたものはA,B両面がチャートにランキングされ続けました。

やがてビートルズらブリティッシュバンドの大襲来が起こりましたが、エルヴィス人気は絶大さを示し続け、対抗策にサントラ以外に古いアルバムからシングルカットしたものがリリースされました。

事態が変わったのは、ベトナム戦争からです。
もはや能天気な内容の音楽は、若者の心を捉えなくなり、ドラッグが流行り、後押しするような音楽や映画は主流に変わりました。若者の価値観はドラスティックな変化を見せたのです。

ボブ・ディランが登場し、メッセージ性の強いフォークが中心になっていきました。サーフカルチャーを得意としたビーチボーイズも変化し、後を追うようにビートルズも変化しました。ブリティッシュバンドの多くが衰退し、サブカルチャーは激変しました。

エルヴィスの映画も動員力を失いはじめ、誰もがエルヴィスの扱いがわからなった頃、持ちこち込まれたのはスーザン・ストラスバーグとの共演作品「スター誕生」でした。

エルヴィスは乗り気でしたが、唯一無二の存在であるエルヴィスが絶対主役でない映画には出せないと拒否しました。そうするうちに長期契約が終わりを迎え、エルヴィスはハリウッドから解放されました。

そこに舞い込んだのがクリスマスの特番テレビライブでした。エルヴィスは血へどのが出るようなパフォーマンスで、50年代のエルヴィス・プレスリーのようなカムバックをはたし、その本領を発揮。エルヴィスこそが本物と全米から賞賛と喝采を浴びました。

その勢いのまま、若い時に散々な目にあったラスベガスのステージにキングとして挑戦し復活。その姿は映画「ELVIS :THAT’S THE WAY IT IS(これこそ、エルヴィスに決まってるじゃん!)」というドキュメント映画に収録され大ヒットになりました。

サントラ用のレコーディングに辟易していたエルヴィスは、「これからは自分が歌いたいものを歌う」と宣言。70年代のエルヴィスはカントリーに傾斜していきます。

エルヴィスの血であり肉となっていたものです。
ロックンローラーとして華々しく成功するより、ずっとずっと前の貧しく辛い時代を支えた音楽たち、ゴスペルでありカントリーでした。

エルヴィスは育った環境のせいもあって、白人音楽を歌うと黒人が歌っているように聴こえました。
逆に黒人音楽を歌うと白人音楽のように聴こえます。それがエルヴィスらしい自然な姿です。
多くの白人ミュージシャンは黒人音楽をやると黒人のように歌おうとしますが、どうしたってできません。
そこにわざとらしさが滲み出てしまいますが、エルヴィスはいつでもエルヴィスのままです。まさしく「ELVIS :THAT’S THE WAY IT IS」なのです。

カントリーでも素晴らしい傑作をたくさん残しています。
<ジャスト・プリテンド>もそのひとつです。
この曲と向かい合うと、ある強い思いにかられます。


 
エルヴィスがね、
その温かい心の戸棚の奥から、勇気を取り出してきて
目の前に置いてくれるような感じがするのです。
丁度イントロが、エルヴィスがそれを取り出しに行く足音のようです。

先行きさえ見えない真っ暗闇な恋の世界。
ポツンと、「ジャスト・プリテンド/Just Pretend(ふりだよ)」と灯りを落とします。


しばらくの間、離れるけれど、心から愛しているよ。
離れ離れの二人が離れ離れでも愛してあっているのはふりなんだよ。
だって俺たちはいつも一心同体が自然なんだから。





「ジャスト・プリテンド/Just Pretend」は、一心同体のふたりが離れ離れの恋人を演じてるだけという歌です。

一切の説明をなしに、それを行間に込めてエルヴィスは歌います。
とても難しい歌です。
否定的ないっさいを否定する明かりが広がり、暗闇に希望の花が咲く。
一輪。
・・・そして二輪・・・・
 
やがてエルヴィスは全身をバネにして、こぶしには力がみなぎります。
渾身の祈りをもって決して負けない世界のあることを示し続けていきます。
愛の奇跡を信じる力がリアリティを帯びていきます。

 
 ♪ もう泣くのはおしまいさ
      君を抱きしめ、愛してあげる ♪

この部分を何度も、渾身の力で歌います。
その歌声には、寂しささえも引き裂くような痛みを、
正面から受け止め引き受け
身体いっぱいの微笑みで応える者の
痛みがあるように聴こえるのは気のせい?

大丈夫、君はきっとうまくやれるさと言ってるようです。
 <ジャスト・プリテンド/Just Pretend>・・・不安を葬る満面の笑みを感じてクラクラします。

時には、人によっては、
宝物のように大切なものを守り抜くために、
ふりをする、とぼける、偽るしかない場合があります。
ふりをする必要がない場合でさえ、そうしかできない人もいます。

人は誰でもこんなやさしさで励まされたら、少しは頑張れる。
少し頑張れたら、少しはもう少しになり、もう少しはやがて力になっていく。
・・・ふりをしなくてもいい時を迎えることができるかも知れない。

人を守ってあげたいと思ったことのある人には、きっと通じる気持ち。

きっとエルヴィスは、そう信じて歌っているに違いない・・・
音の間から、そんな気がする誠実さが響きます。
熱唱はその心を形にしている唯一かも知れません。

エルヴィス・オン・ステージ / スペシャル・エディション」での
<ジャスト・プリテンド/Just Pretend>

・・・山場で、すごくいい笑顔をするでしょう 。 
あの笑顔こそこのパフォーマンスの心だと思いますね。

 
決して優れた楽曲とは思わないのですが、エルヴィスの力で曲は花開きます。
エルヴィスの心の入れ方、出し方に心酔する。
力強いやさしさが美しい。






なぜ、今頃になって、世界の有力なミュ−ジシャンたちがこの歌を「共演」という形でとりあげるのか、それは稀有なベストパフォーマンスであるとともに、それを成し遂げている魂に触れるからだと思います。

先行きさえ見えない真っ暗闇な恋の世界。
エルヴィスは、ポツンと「ジャスト・プリテンド/Just Pretend(ふりだよ)」と灯りを落とします。

俺たちはいつも一心同体なんだから。


行間込めた想いが、胸をこぶしで叩きます。




 

ワンダー・オブ・ユー:エルヴィス・プレスリー・ウィズ・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の重厚な演奏をバックにした<ジャスト・プリテンド>も聞き応えたっぷりです。


エルヴィスがいた。

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